2016年9月25日日曜日

Armaan君のお誕生日会

今日は同じクラスのお友達、Armaan君のお誕生日会です。今回初めてクラスのお友達から招待されました。ものすごく嬉しい😆

7月に初めて同じアパートに住み、AISのNursery に通うArmaan君(この子もそう言えばArmaan 君だった!)のお誕生日に招待されたのが、インドで初めてのお誕生日会でした。

インド人とお友達になるのは、難しいと感じていました。2年以上住んでいますが、お友達はいません。挨拶する人だけ。ママ達もいつもグループに別れておしゃべりしているし、外国人はカースト外と聞いているし、実際、無反応の対応が多いです。

アーメダバードの人は外国人に慣れていません。たまに声を掛けてくれるママは、アメリカに住んでいたとか、ムンバイから来て親戚はアメリカ、シンガポールとか、東京に行ったとか(先日初めて東京に行ったママと会いました)。何かしら海外と繋がり外国に興味がある人だけです。多くはありません。

後は同じアパートの上品なおば様とお嬢さんが近寄ってきて、『実は私達は仏教徒なの。創価学会よ。あなた今度の集まりに来た方が良いわ。日本人でしょ』と言われびっくりした事も。そう言えば、ムンバイ空港でおしゃべりしたおば様も、『日本に観光ですか?素敵ですね』『東京の創価学会に行くのよ!』また。。

最初の1-2年は出来たらお友達が欲しかったし、このママ達の中に、子供と仲良くしてくれる子供達のママがいると思い、いつも笑顔で送迎を心がけてきましたが、正直ストレスでした。
お友達のエレナ(イタリア人)が『IZUMI、インド人とお友達になるのは不可能。私もゼロよ。でも、気にしないわ~』
本当にそうだ。何故何時も、お友達を作らなきゃとばかりで思ってるんだろう。相手が興味ないのは仕方ない!
希望をスッカリ捨てたら、リラックス出来ました。

でも、私が仲良くしないと、子供はお友達のお家に呼ばれる事もないのね。。

こんな気持ちでこれ迄過ごしてきたので、今回のお誘いは特別嬉しかったです。Armaan君のお友達だからとケントへの招待。良かったね。ありがとう。

夕方5時から、野外の広いGreen Pearl レストランを貸し切り、Armaan 君のパーティーは始まりました。テーマはカウボーイ。

Vuittonが好きな派手で素敵なパパとママ。沢山のアトラクション、ゲーム、お食事と楽しい時間は過ぎました。馬もいます。最後はダーツゲームとお菓子のお土産も頂いて。想像を越えた、派手なお誕生日会でした。

5時からのパーティーですが実際にお客さんが集まったのは、1時間を過ぎてから。人がいないなーと思って振り向いたら、遠くに驚くほど沢山のママと子供達。どこから急に湧いてきたの。。


インドの子供達は可愛い子が多いです。美しい大きな目にバサバサのまつ毛。色が白い子供も多くて不思議。Armaan 君の目はグレーでした。
ケントは頭が大きいなー 
クラスメイトと追いかけっこして、皆から『ケント!ケント!』の声。大喜びでした。


2016年9月23日金曜日

外国人ママ会

毎週水曜日は外国人ママ会が、街で一番オシャレなジェラート店『Melt In』であります。

メンバーは大体15人ぐらいでしょうか?今までオーストラリア、アメリカ、イギリス、フランス、スペイン、イタリア、チェコ、オランダ人などがいました。
この2年間で随分メンバーが入れ替わりました。私はアーメダバードに来て1ヶ月半ぐらいでこの会に入りましたが、その時から残っている人は2人ぐらいでしょうか。赴任期間が終わると、其々の国や別の赴任先に引っ越して行きます。
約1年前に日本人のTさんが、ご主人に帯同されたので、この会の日本人は私を含めてやっと合計2人になりました。

ピザ、ジェラート、コーヒー、紅茶を楽しみながら、毎週楽しくおしゃべりしています。
ピザは200ルピーから、ジェラートは100~200ルピー、コーヒーは100ルピーからになります。高めの価格設定ですが、手作りジェラートは美味しいです🎵

仕事をしていれば、会社で人と話す機会がありますが、主婦は自分で動かないと人と話す機会はありません。会話する相手を見つける事が、ここで生き抜くのに必要な事の一つです。

皆にとってもこの会が一番楽しい場所です。気が済むまでおしゃべりし、ストレス解消したら気ままに1-2時間で帰って行きます。

今まで美術館、旧市街巡り、新しいレストランでのランチ、自宅ワイン会、バーベキュー、プールパーティー、オランダ、イギリス大使主催のパーティーを楽しみました。

この会はオーストラリア人のNinaが、約5年前に設立した会です。皆が出会える場所を作ってくれたNinaには、本当に感謝しています。

私もこの会には本当に感謝しています。この会のお陰で、どれだけ楽しい時間を過ごせた事か。。精神的に沢山助けられました。皆、素晴らしい女性達です。




2016年9月19日月曜日

子供の学校 ②

学校には制服がありますが、Nursery だけは私服になります。年に数回あったバスで行く遠足の時は、学校から支給されたTシャツを着ていました。(妙にサイズの大きいシャツでした。何でも適当)

Jr. KgとSr.Kgの制服は3色の横縞ポロシャツにグレーの長ズボン(女の子はグレーのキュロット)になり、マジックテープの付いた黒い運動靴になります。この運動靴は直ぐに中敷きが剥げたり、爪先のゴムが外れます。全般的にインドレベルの質です。
先日、あるイタリア人家族のミラノ大学に通う娘さんが、アーメダバードに遊びに来ました。その時制服を見て『Oh, my goodness!この靴!!醜いわ!』と叫んでいました。ミラノーゼのセンスにはちょっと無理でしょうね。
毎年、鞄(ブルーのリュック)が支給されますが、今年は1週間でリュックのファスナーが壊れました。先生に修理するか新しいのと交換してくれるように頼んだところ、3日で修理できるわよーとの返事。もちろん信じてません。インド人の5分は20分、3日は1週間てとこかなあ。

その後、問い合わせても、問い合わせてもリュックが戻らず1か月。問い合わせる度に、先生はえ?なんの事?といかにも初めて聞いたわ!という反応をします。4回目に問い合わせた時は、『アラーもういいじゃない、そのバックで何が悪いのよ!』(息子はJr.Kg時代の古びたリュックをからっていました。これも崩れそう)
その瞬間,思わず我慢の限界。かっとなり、『そんなわけないでしょ?このバック古いしJr.Kgて大きく書いてあるじゃない。何で修理もできないのよ!ありえないわ❗』(でもそれがインド。日本人の常識は一切通用しません)。
多分、私の言い方がきつかったのか先生もギョットし、業者に問い合わせるから。。。で終わりました。思わず感情的になって、反省。

でも、これでもうスッキリしリュックはどうでも良くなりました。周りを見渡せば、学校のリュックじゃないリュックを担いでる子はあっちにもこっちにもいます。つまり、皆のリュックは壊れたんですね。なんだ。それでも良いのね。。そう。ここはインド。もっと柔軟に行きましょう。

その後、息子は元気に去年のリュックをからって登校していました。大丈夫。今度帰国の時に、日本でかっこいいの買おうね。

すっかり壊れたリュックの事忘れて3か月。突然昨日、お迎えに行ったら修理された新しいリュックをからっていました。。。先生のコメントなし。

インドでは3日は3か月だったのね。。。イライラせず、気長に暮らし、ご縁があればまた巡り会える。。。ちょっと、私には難しい考え方だけど。。

2016年9月18日日曜日

私の日常

子供を学校に送った後、朝8時半から12時半までが私のゴールデンタイム(お一人様時間)になります。
今では習い事や、毎週水曜日の欧米人ママ会に参加し、空いた時間を一人で楽しんでいます(そうは言っても時々国外に逃げたくなりますが)。アーメダバードに来たばかりの時は、何もする事がありませんでした。お友達もゼロ。
不動産の女性に、アーメダバードの女性は毎日何をしてるのと聞いた所、毎日朝から晩まで一日中テレビの前に座ってると聞いてビックリしました。

取り合えずドライバーさんと外をドライブしましたが、明るい光のもと街を眺めると、ガッカリする事だらけ。
インドの事を紹介した本に、インドはゴミ箱をひっくり返したような街という一文がありました。アーメダバードはまさにその通り。日本や他の外国では見た事のない景色です。どこに美があるんだろう。。こんなとこで暮らすのか。。。と落ち込みました。

街で一番新しいデパート、Alpha Oneに出掛けても、アメリカの田舎街のデパートにしか見えず、益々ガッカリ。
今ではAlpha One にも慣れ、最上階にある映画館にも、地下にある街で一番きれいなスーパーマーケットにも慣れ、時々はショッピングも楽しみますが、来た当初は、全て頭の中の基準が日本と外国だったので、比較してしまい全く良く見えませんでした。それが普通の日本人です。
寛げる綺麗な場所がないので、もっぱら近くのマリオットホテルのカフェで過ごしていました。

午後子供を迎えに行った後も、何もする事がない毎日で、またマリオットやハイアットのカフェに行ったり。誰も話す人はいません。
元々結婚前は忙しく働き、海外生活も何度か経験していたので、インドには全く興味はないけど、自分は大丈夫かなと思っていました。でも、そう甘くはなかった。

初めてインドに来てみて、それもデリーでもムンバイでもなく、聞いた事もなかったアーメダバード。予想以上に汚い、何にもない、ベジタリアンの街、鶏肉しかない、禁酒の州!!(お酒の許可書を手にいれ、自宅でお酒を飲むことは可能。でもホテルでもお酒は禁止)。
また、私が来た6月は一年で一番暑い時期。クーラーをフル活動させてもまだ暑くて寝れない。もわっと空気がこもりキッチンやバスルームの暑さと言ったら。。水道はお湯しかでない。。顔をお水で洗いたい。。

来て3日目で息子が高熱を出し、ひどい下痢になり、これは大変な所に来てしまった、もう帰ろうと思いました。産まれてから健康で丈夫だったから過信してしまったけれど、間違っていた。息子の命より大事なものは存在しない。もう帰ろう。
だけどすぐに病院に連れていかなきゃと、不動産の女性に紹介してもらった小さなクリニック(Tender Care)に駆け込みました。すると予想外にはっきりした英語を話す貫禄のあるドクターが、『大丈夫、初めてインドに来たら色んな菌に掛かるから良くある事だよ。自分も16年のアメリカ生活から帰国した時、ここで生まれ育ったのに菌に掛かり、同じ病気になったから。ここは汚くて菌だらけ。暑さと水だろうね。貴方は大丈夫?薬を処方するよ』と言われ、私も同じ症状だったのでお薬を処方してもらいました。その後、薬を飲んだら息子も私の症状も一日で治まり、すっかり元気になりました。

あら、これならもうちょっと大丈夫かも?。。
じゃあ、やっぱりもうちょっと頑張ろうと、翌日には気を取り直し子供の学校の入学手続きに向かいました。

2016年9月16日金曜日

子供の学校

息子の通う学校、AIS(Ahmedabad  International School)は、月ー金曜の朝8時半~12時半までになります。日本の幼稚園(年少、年中、年長さん)がこちらではNursery,Jr.Kg & Sr.Kgになります。息子は3年目になるので、今年の6月からSr.Kgになりました。
学校は家の向かいにある為、毎日一緒に歩いて登校しています。これが日常で唯一の歩く時間です。アーメダバードの道は牛や野良犬が我が物顔で横行し、車とバイクとオートリキシャも休みなく走行しているので、普通に歩ける道ではありません。空気も汚れています。雨季の時期には道路に水が溢れます。また、アーメダバードは年中暑い街です。4月から6月は気温が50度を越える日も多々あります。学校の夏休みは一番暑い時期、4月半ばから6月半ばまでになっています。

クラスは大体20人ぐらいで、Sr.KgはAからDまで4クラスです。International School ですが、殆どが地元の裕福な家の子供達で、外国人は数える程しかいません。息子は学校初の日本人になりました。その後、韓国人家族とイタリア人家族がやって来ました。
先生は全員インド人女性です。この学校は校長から全て全員が女性で、そこが気に入っている点の一つです。また、心配していたインド訛りの英語ではありません。

息子が入学した時は、学校に行きたがらず、Nursery に着いた瞬間大泣きし、どうしようと悩んだ時もありました。ベテランのインド人の先生から、あなたはさっさと帰ってと言われ、でも鳴き声が聞こえるので、心配でフェンスに登って教室を覗いて怒られた事もありました。
3か月もするとなんとなく慣れ、学校に行きたくない日も沢山ありましたが、とりあえず毎日学校に行き、迎えに行くと楽しそうにしている時も増えて来ました。毎日はらはらしましたが、そうやって1年が過ぎた事を覚えています。

2年目になると、クラス替えもあり、新しい先生です。クラスに着いた瞬間、そそくさと私の手を振りほどき、振り向きもせずクラスの中に消えて、先生に笑顔を振り撒き、毎日先生に日本語を教え、迎えに行くと楽しそうにお友達と笑っている姿を見て、ほっとしました。毎朝シルビア先生のおおらかな笑顔と、息子をAmazing と激励して下さる温かい誉め言葉に、どれだけ安心し励まされた事か。。時々親の方がストレスで暗い気持ちでしたが、先生の優しさに救われました。

3年目はクラス替えはなく、先生だけが変わりました。どうやら、2年に1度クラス替えがあるようです。今では、お友達もでき、好きな女の子もいて楽しそうです。ある日息子の好きなリーバちゃんに遭遇し、『あれがリーバちゃんだよ!!可愛いでしょ!』『ふーん。まあね。でもあの子の方がもっと可愛いじゃない?』とやっかみ半分で言ったら、冷たい顔で『僕にとっては、一番可愛いよ』とバシッと言われ、馬鹿馬鹿しくなりました。先が思いやられる。。やっぱり、自分の事でも考えよう。